M リアルタイム報道局
// culture

影と手触りの彫刻家 クロヌマ タカトシ——静かな存在の境界線

By Andrew Hansen
影と手触りの彫刻家 クロヌマ タカトシ——静かな存在の境界線
影と手触りの彫刻家 クロヌマ タカトシ——静かな存在の境界線
@ Andrew Hansen • Click to Play Video Inline
🎵 影と手触りの彫刻家 クロヌマ タカトシ——静かな存在の境界線

クロ ヌマ タカトシは、「見えるもの」より先に、手触りや気配を残そうとする彫刻家だ。木を削る現場の時間から始まり、粘土や造形へ広げた現在もテーマは変わらない。孤独と他者、自分と外界、光と闇の“境界”を、作品は静かに揺らす。

クロ ヌマ タカトシは1985年生まれ。神奈川県厚木で育ち、木彫りの制作を軸にしながら、2010年のフリーランス化後、2011年の初個展やパリでの展示を重ねてきた。2023年には写真集『Boundary』を刊行し、2025年には公立美術館デビューも控える。

項目 要点
名前 クロ ヌマ タカトシ(Kurōnuma Takatoshi)
生年・出身 1985年生まれ/神奈川県厚木(のちに同地で制作拠点)
転機 2010年:フリーランス彫刻家へ/現場監督として働きながら木を手彫り
初個展 2011年:Sajiya Studio(東京)
海外展開 2015年:パリ(“Latent Landscape”)
代表的な活動 2023年:“Premonitions of Beauty”(高島屋美術部)/全国ツアー
出版 2023年10月:モノグラフ『Boundary』
今後の焦点 2025年:“Phenomenon”(公立美術館デビュー:Nagi Museum of Contemporary Art)

木の現場から彫刻へ——クロ ヌマ タカトシの出発点

クロ ヌマ タカトシの物語は、派手な成功物語ではない。むしろ、現場の反復の中で生まれた手の記憶が、そのまま制作の核になっている。彼は設計系のデザインスクールで学んだのち、住宅建設の現場で親方(フォアマン)として働いたという。建物が形になるまでの時間、その手順そのものが、のちに彫る行為へと接続していった。

手の使い方は、やがて木彫りへ。現場の合間に始めた彫刻は、最初から“アート”としてではなく、木の表情に触れるための手作業だったはずだ。削りながら、割れや反り、年輪の癖を覚える。そんな積み重ねが、本人の制作を「観察」から「解体と再構成」へ押し上げていった。

2010年に彫刻家へ——“仕事”が“制作”に変わった年

転機は2010年。クロ ヌマ タカトシはフリーランスの彫刻家になり、制作を生活の中心に据える。ここで重要なのは、彼がそれまでのキャリアを完全に切り捨てたわけではないことだ。建築の学び、現場での手際、工程管理の感覚。それらが、作品の時間感覚——どれだけ削り、どれだけ待ち、どこまで残すか——に反映されている。

制作が仕事になると、当然ながら視点も変わる。作品を外へ出し、人の目に晒す必要が出てくる。その最初の大きなステップが、2011年の初個展だ。

2011年:Sajiya Studioでの初個展

2011年、クロ ヌマ タカトシは東京のSajiya Studioで個展を開催する(“Kurōnuma Takatoshi Individual Exhibition”)。この時点で、彼が単に作品を並べただけではなく、制作の世界観を「見せる」ことを意識し始めていたことがうかがえる。

初期の彫刻は、手の痕跡が残りながらも、説明しすぎない沈黙を持っている。観客は作品の前で、答えをもらうのではなく、自分の中にある時間や距離感を思い出さされる。彼の作品が“境界線”として語られるゆえんは、こうした沈黙の設計にある。

国内からパリへ——境界の感覚が広がる展示歴

彫刻家にとって、展示歴は地理の拡張でもある。クロ ヌマ タカトシは、国内での発表を積み重ねながら、2015年にはパリでの展示にも到達している。

2015年:「White Time」「Latent Landscape」

2015年には、千葉で“White Time”と、パリで“Latent Landscape”がそれぞれ行われた。タイトルの言葉選びだけでも、時間や潜在の気配を前面に出している。現実の風景をそのまま写すのではなく、風景が持つ“残像”や、“言い切れない余白”を作品に移そうとしている印象が強い。

パリでの展示が意味するのは、単なる海外進出ではない。鑑賞者の言語や文化が変わることで、作品が持つ沈黙の強度もまた試される。クロ ヌマ タカトシの作品は、その試験に耐えうるタイプの沈黙だったのだろう。

“存在と不在”の間——パリでの2018年展示が示したもの

2018年には、パリのGalerie Métanoïaで“Between Existence and Absence”が開催される。ここでの鍵は、存在と不在をただ対立させるのではなく、あいだの領域に焦点を当てている点だ。

クロ ヌマ タカトシの彫刻は、見る側が「これは何か」を断定する前に、「どんな距離感で立ち上がってくるか」を感じ取るよう設計されている。光が当たると輪郭が出て、角度が変わると姿が薄くなる。そうした変化が、存在の確かさではなく、存在の“揺れ”を伝えてくる。

こうした作風は、木だけではなく粘土やモデル(造形)といった多様な素材と相性がいい。素材を変えることで、揺れの質が変わるからだ。木の硬さ、土の重さ、乾くときの時間。それぞれが別の種類の時間を彫り込む。

2023年:高島屋での個展と、写真集『Boundary』という記録

転機がもう一段、はっきりした形で現れるのが2023年だ。“Premonitions of Beauty”が東京のTakashimaya Art Galleryで開かれ、さらに全国ツアーとして展開された。高島屋美術部という場の持つ意味は、単に人を集める力ではない。作品の静けさが、商業空間の速度にどう耐えるかが問われるからだ。

彼の作品は、即答を求める客の流れとぶつかると、薄れてしまう危うさもある。それでも2013年ではなく、2023年にこうした大きな舞台へ到達している。つまり、彼の“境界”は、特別な鑑賞環境に閉じない強度を持つようになったと考えられる。

写真集『Boundary』(2023年10月)の役割

同じ年の10月には、モノグラフ『Boundary』が出版される。写真集という形を取っているが、単なる記録では終わらない。写真は、彫刻の周囲を歩く行為の代わりにはならない。それでもなお、特定の光、特定の距離で切り取られた“境界”が、視線を誘導してくる。

『Boundary』には、作品の写真だけでなく、キュレーションノートの要素も含まれるとされる。ここで重要なのは、作者が説明文で作品を固定しないまま、鑑賞の入口だけを整えていることだ。鑑賞者は、答えへ一直線ではなく、自分のペースで迷っていける。

素材の拡張と、テーマの変わらなさ——光と闇、孤独と他者

クロ ヌマ タカトシの作品は、扱う素材が幅広い。たとえば、スギのブロックや流木、そして粘土などだ。素材を変えると、色や硬さ、削ったときの音まで変わる。なのに作品がぶれないのは、核となる問いが同じだからだ。

本人のテーマは、しばしば「人間の孤独」と「自己と他者の境界」「光と闇」「生と死」といった語で説明される。ここでの“境界”は、単なる区切り線ではない。境界とは、変化が起きる場所だ。自分が自分でなくなる瞬間、他者が他者でなくなる瞬間。あるいは、光が当たったのに存在が薄れていく瞬間。

彼の彫刻は、完成形の美しさを追うというより、「一瞬だけ立ち上がって消えていく存在感」を掴もうとしている。木の年輪や繊維の方向、粘土が固まるまでの過程が、その“消えていく”感覚を支えている。

見る側に残る“考える余白”

説明が少ない作品が難しいのは、観客が迷子になることだ。しかしクロ ヌマ タカトシの場合、迷う方向がわかる。作品は、鑑賞者に答えを要求しない代わりに、鑑賞者の記憶や距離感を呼び戻す。

だから、作品の前で感じるのは恐怖ではないことが多い。むしろ、孤独が孤独のまま終わらず、どこかで他者へ接続する予感のようなものになる。光が影を作り、影が輪郭を隠す。そうして“わからなさ”が作品の素材になる。

2025年の公立美術館デビュー——“Phenomenon”が意味する次の段階

2025年には、“Phenomenon”がNagi Museum of Contemporary Artで行われる予定だ。公立美術館でのデビューが示すのは、作品の到達点であると同時に、次の拡張の必要性でもある。

公立の場は、来館者の層が広い。普段は彫刻を見ない人も入ってくる。だからこそ、クロ ヌマ タカトシが得意とする「沈黙の設計」が、そこでどう受け止められるかが見どころになる。

これまで厚木のスタジオで制作し、2017年には自身のスタジオを同地で開き、モデルや粘土へ表現を広げてきた。つまり、次の段階でも素材と空間の関係を調整しながら、境界の感覚をより多くの人に届かせる工夫をしている可能性が高い。

厚木のスタジオが果たしてきた役割

2017年に厚木へスタジオを開設したことは、制作環境の固定化ではなく、実験の持続を可能にした。木から粘土、モデル(造形)へ広がると、必要な時間も道具も変わる。現場を自宅の近くで抱えることで、微調整ができる。作品にとって、こうした“近さ”は結果に直結する。

クロ ヌマ タカトシを追うための観点——作品の見方とキーワード

クロ ヌマ タカトシの作品を追うなら、次の観